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マシュー・バーニー:拘束のドローイング展

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2005.08.12-2005.08.14の金沢ツアーの主な目的はこれ。
鑑賞順は、映画→展示→アーティストトーク(ビデオ)。映画は2時間半、トークは1時間半なので、全体半日がかりでみてきました。
まずは映画から。事前知識ナッシングだったので、自分なりに集中して鑑賞。オープニングがかっこいいな。が、前半少しだけ眠くなる。中盤からは、なんだろう、これは?っていう気持ちいつぱいですっかり眠気がふっとんだ。
マシュー・バーニーの演技がどうこうっていう話がありますが、僕はどちらかというとバーニーとビョークのこの映画に対する温度差が気になった。たとえば、茶室内の動きなんて、ビョークよりバーニーのほうがずっとうまい?本気なんだなと思った。あと、なんで剃るん?とちょっとうけた。もちろん笑いは押し殺しです。
観賞後の感想は、、正直いって、なんともコメントしがたい感じ。十分に理解できてない気持ちがあって、コレは何なの?ってだれかに聞かれたら、困るだろうなぁと思った。
※なにかを十分に理解したかどうかの基準って、僕の場合、両親をイメージすることがある。両親と僕ははいつの間にか、興味や関心に大きな隔たりができてしまったようで(だから今話しててすごく楽しいんだけど)、そんな状況でも、どういう風に説明したら理解・納得してもらえるかってシミュレーションしてみる。
その後展示のほうへ。
プロっぽいなぁと強く思う。
拘束のドローイングの映像作品はどのタイミングで作家が完成!と判断するのかきになって、最後までみた。
やっぱ映画みておいて正解だったな。映画なしだとたぶんこの展示半分も楽しめないだろうな。
クレマスターの映像なんかもちらりとみて、それからアーティストトークの録画映像。
展示とあわせて、映画で??だったところが、あ、そういうことだったの、と納得するところが多々あり。しかし、根本的な問題はのこる。結局なにがいいたかったのだろう?(もともこもないな)
ただ、展示内容やアーティストトークをきいていて、プロだなぁとおもったのはやはり変わらず。
作品の見せ方とか。しゃべり方とか(英語わかんないので、通訳ね)。
アートって、一言で端的に言い表せることを、あえて複雑・難解にしたり、それ自体をメタファーにしていろんながありますよってみたいに付加属性をつけることでそれっぽく見えるということがあると思うのだけど、そういう印象もなきにしもあらず。私はこう感じたのだけど、社会との関係性の上になりたっている私がこう感じた事は、人と社会との関係をあらわす一種のメタファーであって、どうたらこうたら。「私は感じた」を「私たちは感じている」に押し広げるというような。

アーティストトーク途中退場したので、はっきりしたことは言えないのだけど、これを思い出した。

だれかが「重要」な絵画をつくれるかどうかに関して、他の能力-デッサン力、色彩理論、構成能力、イデオロギー、鑑識眼などなど-はすべて無関係であることが示された。
唯一残されたものは自信(信用)だ-ちょうど紙幣と同じ。内在的価値の問題など、その中には全く含まれていない(美術評論家はいまだにそのれがあるかのような書き方をするが)。あらゆる価値は、紙幣がすべてそうであるように、アーティストと観衆によって授与されただけのものである。アーティストの仕事は、観客にその価値を共同授与するよう合意させることであるー

by Brian Eno『A YEAR』

以上お粗末様でした。

マシュー・バーニー:拘束のドローイング展
金沢21世紀美術館
2005年7月2日(土)〜 2005年8月25日(木)
出品点数 彫刻22点,写真74点,ドローイング11点,ビデオ作品6点,
映画1点(予定)

http://www.kanazawa21.jp/barney/index.html